新管理人トシの「私の移住の流れ」
新管理人トシの移住の流れ。私が沖縄と出会った理由から、沖縄に心ひかれるようになるまで、そして念願の移住に至るまでを、ざっくりと、でもなるべくリアルに書いてみます。
悲しいかな、前管理人ゆうちゃんと違い、私の場合は3年以上も前のことなので、うろ覚えな部分も多々ありますし、現在とは社会情勢も若干違ったりしますよね。
でも本質的な部分は一緒だと思います!前半はなんだか個人的な内容ばっかりで、あまり実用的な情報はないかもしれませんが、後半は具体的な情報も書いていきます。
前管理人の流れとも比較していただけると参考になると思います。
1.背景(沖縄との出会い)
まずもって、私がなんで沖縄に移住しようと思ったか。
前管理人のゆうちゃんは、自ら突っ込んでもいるように、「彼女を追って」なんて軟弱な理由だったりしますが(笑)、私トシの沖縄との出会いは、学生時代に遡ります。
沖縄の地を始めて踏んだのは、いまから8年前の大学2年生の時。私が専攻していた「文化人類学」のゼミで行われた調査旅行の時でした。
ヤマト文化圏と南島文化圏、そして大陸の影響が交差する極めて特異な文化的背景の中にあり、そしてご存知の通り現代でも様々な年中行事が行われているここ沖縄ですが、専攻学部の恩師の研究フィールドの1つに沖縄の民俗があったため、私たちゼミの学生を連れてフィールドワークに行ったというのが最初の来沖でした。(ここらへんは、また別の機会に詳述しようと思います。私の数少ない引き出しの中でも、イチバン語れる部分(?)なので)
国際通りで遊ぶこともなく、ビーチで泳ぐこともなく、名護の山奥の小さな集落で地元のオジィやオバァから昔の話を聞き取り調査する大学2年の夏休み。一週間足らずの滞在でしたが、福岡に戻った私は、すでにその魅力にどっぷりはまってしまっていたのでした。
その後、大学3年の夏には本島縦断自転車旅行を敢行。(ココも後日で詳述予定!)後に出てくる謎の人物「Fさん」との出会いをはじめ、さらに沖縄の魅力にのめり込み、4年の夏には、自分で開拓した調査地で卒業論文の予備調査と論文作成にて2週間の滞在。
いまにして思えば、ここらへんの大学時代で、既に沖縄行きの運命は決まっていたのかもしれません(大袈裟か)。
2.移住前の現状
その1から話は飛んで、数年後の話。福岡の大学を無事に卒業して、ハウスメーカーの福岡支店に就職していた私は、住宅の営業に明け暮れる毎日。いまでもそうだと思いますが、住宅の営業の世界ってのは、とかく昔の体質の色濃く残った所で、すごく体育会系の職場でしたね。給料は良かったけど、やっぱり体はキツかった。そんな毎日で思い出すのは、やっぱり沖縄の事というわけで、一年に一度くらいの沖縄を楽しみに毎日を過ごしてました。その3につづく。
3.謎のパトロンその名もFさん
前フリが長くなってしまうようですが、今でも不思議だと思える出会いが1つありました。
その1で少し書いた、大学3年の9月に敢行した自転車での単身本島縦断旅行の時の事。
(この旅行のことも、後ほど詳しく書きますね)
福岡から船で運んできた自転車に乗り、北谷に差し掛かったときでした。那覇を出発して
から一度も休まず、まだまだバリバリ夏の炎天下の沖縄の空の下をノンストップで北谷ま
で走ってきたので、一息いれようとハンビータウンに立ち寄った私。もともと米軍の飛行場が返還されて開発された地域なので、当時のハンビータウンは今ほど建物も建っていな
かったと記憶してます。
多分飲み物を探してウロウロしてたんだと思いますが、道端のバラック小屋の中に野菜を
並べて売っている店があって、その店先に置いてあった、切ってお皿に盛ってあるパイナ
ップルに目を奪われて自転車を止めたんです。以下がそこの店番のオヤジとの会話。
トシ:(パインにつられて自転車を止める)
オヤジ:パイン、喰うかぁ〜・・・。(楊枝に刺した一切れのパインを手に持って)
トシ:あっ!おいしそう!もらいます。(楊枝のパインを受け取って食べる)
トシ:あぁ〜・・・うまいっす。一皿もらいます♪いくら?
オヤジ:(僕の質問には答えようともせず)どっから来た?
トシ:えっ・・・!?あっ、福岡ですー!
オヤジ:(矢継ぎ早に)で、どこいくぅ?
トシ:えっ?ええと・・いちおう辺土岬まで(←いまにして考えると、ただのアホですが)
オヤジ:(表情ひとつ変えず、腕時計に目をやる)じゃあ、うちに泊まってけぇ。
トシ:え!?
この訳のわからん会話が、私とFさんとの運命的な邂逅(大袈裟)でした。
そして、この謎のオヤジFさんは、その後の私の沖縄との関係に大きな役割を果たすキーパー
ソンになっていくのです。話が脱線しまくりなので、この続きは別のコーナーで。
その4につづく。
4.退職とプータロー生活
移住前に務めていた会社は、博多駅の目の前にオフィスのある、一応大手の住宅メーカーの福岡支店。
給料はそこそこ良かったのですが、文系の私がその会社に就職したのは、
特にこれといった夢や目標があったからでもなく、新卒で就職することが第一の目標だったし、文系学部で就職するには、
営業を避けて通る事はできないと思っていたという、(今にして思えばですが)それだけの理由でした。
2年間勤めましたが、毎日のように上司に尻を叩かれ、数字を突きつけられる生活。ただた
だ体力的にきついだけで、仕事に愛着を持つことは出来ませんでした
(まあ、甘いですよね。今考えても)
もちろん既に重度の沖縄病を発症していましたから、しんどい時に考えるのは沖縄のことばかり。お金はあっても時間がなく、かろうじて取れる唯一のまとまった休みの、お盆の代休の時に、実家にも帰らずに沖縄に行くことだけを楽しみに毎日働いていました。
とはいえ、そんなモチベーションを辛うじて維持するだけの社会人生活が長く続くわけもなく、平成15年の2月にその会社を退職。その時、上司に告げた退職の理由が、いま考えても笑えるんですが、
「報道の仕事に就きたいんです!NHKに入りたい。」
というものでした。いちおう当時から、
漠然とした夢としては、メディアとして情報を伝える側の仕事がしたい!という希望があったんですが、その事と沖縄病には、なんの因果関係もなかった。 まだ沖縄行きを決意したわけでもなかったし、そんな2つの要素が繋がる(というか、無理やりこじつける)のは、もっと後になってからの事で、実際問題として社会人2年目の私に欠けていたのは、他ならぬ忍耐というやつだった訳です。まあ、遅かれ早かれ、その会社は辞めていたと思いますが、2年というのはいま考えてもお粗末だったと思います。
会社を辞めた私は、雇用保険の失業給付の手続きだけを済ませて、あとは仕事もせずにプラプラしてました。ご存知のように、
自己都合退職では、失業給付が始まるまでは3ヶ月間の待機期間というものがあり、給付をもらうためにはその間は仕事に就くことが出来ないからという、訳の分からない言い訳で(就職活動するための期間なんですけどね)自分を誤魔化し親を誤魔化し、すさんだ生活を送ること3ヶ月。あっという間に所持金も底を突き、追い詰められた僕の頭に浮かんだのが、沖縄への移住だったのでした。その5へつづく
5.決意と下見(家さがし)
「沖縄に住もう」と決めてからの動きは早かったと記憶しています。
まあ、それまでの
3ヶ月のダメ人間生活でお金もかなり減っていたし、なにより焦っていたから。
山口の実家に帰り、会社を辞める事と沖縄に移り住む事を両親に伝えました。これまで大学にも行かせてもらっておいて、せっかく就職した大手の会社を2年で辞めてしまうなんて・・・大反対されて、説得される事も覚悟していたし、申し訳ない気持ちで一杯だったけど、両親の反応は意外にも優しいものでした。これには今でも感謝しています。
また、移住の準備に際しては、私の場合は非常にありがたい事に、
大学時代から仲の良かった同級生の友人が半年ほど前に那覇に移住していたので、「住ism」(当時は住宅JOHOという名前でした)や
「宅建情報」などの住宅情報誌をはじめ、
「Agre(アグレ)(当時は「ask」という名前でした)や「ルーキー」などの地元の就職情報誌などを送ってもらい、家賃の相場や一般的な間取り、また就職事情なども事前に下調べしておく事ができたし、その後家探しに行った際にも
友人の家に転がり込むことで宿泊代はタダ。この点は非常にラッキーだったと思います。
家探しのための来沖は、当初2泊3日の予定で来ましたが、結果的には一日伸びて3泊4日かかりました。私の場合は、それまでに何度も沖縄に来ていたし、学生時代にFさんの家に居候して卒業論文を書いたり、彼の運転手まがいのこともやっていたおかげで(※)多少の土地勘も既についていましたから、とてもスムーズに事が運んだと思います。
私は既に那覇市の、それも南部(古波蔵・国場・仲井真あたり)にターゲットを絞って家探しをしようと決めていたので、その近辺を扱っている不動産屋さんを事前にピックアップして地図に書き込み、徒歩で不動産業者を回りました。まる3日間かけて10件以上の不動産業者を回りましたが、
結局落ち着いたのは2件目のお店(笑)
「ビッグ開発」という不動産業者(ゆうちゃんと同じですね)の「真和志(まわし)支店」という所でした。
その場で契約についての説明を受けたあと、
敷金(2ヶ月分・礼金はナシ)を支払って申込書に捺印し、同時に保証協会の申し込み書類を記入して、ひとまず家探しは終了。 後日、大家さんの印鑑の押された契約書が郵送されてきて、それに捺印のうえ返送をして契約も終了。
入居日などは、業者と電話で連絡を取り合って行ったと記憶してます。
私が利用した
「ビッグ開発」は、沖縄ではけっこう大手の賃貸を専門にする不動産業者で、
(テレビCMもやってます)比較的若い社員が多くて、社員教育もしっかりされてます。
沖縄での家探しの注意点としては、他のサイトなどでも紹介されていますが、人によって
は
「保証人」の問題が結構やっかいだと思います。特に、まだ仕事のきまっていない本土の人間は、まず最低1名の保証人(両親でもOK)と、保証協会なるものへの加入を要求さ
れる事が多いようです。
敷金・礼金・諸費用について
数年前のことに加えて、私自身の経験なので、一般論ではなく参考にしていただきたいのですが、
沖縄でアパートを借りる場合の諸費用は、(敷金2ヶ月・礼金ナシ・仲介手数料1ヶ月+保証料)というパターンが多いようです。また、クルマ社会ならではの特徴
だと思いますが、
ほとんどの場合アパートやマンションには一台分の駐車場が付属しており、料金は家賃に込み(駐車場が必要なくて使わなかったとしてもとしても、その分安くはならない)です。このほか、入居時にガス会社に預ける保証料(1万円が相場)や、火災保険料(年間1万円くらい?ちなみに地震がほとんど起きない沖縄では、賃貸に関しては地震保険への加入を求められることは無いと思われます)などもあります。アパートの場合、ガスはほとんどがLPGです(都市ガスは、多分ほとんどありません。確認したわけではないですが)。
保証協会について
保証協会とは、その名の通り、家主および管理会社に対して家賃の支払いを保証する業務を行っている民間会社のことです。
沖縄では「全保連」と「おきしん保証サービス」という2つの会社が大きなシェアをもっているようですが、多くの場合、不動産業者や建物の所有者ごとに契約している保証会社がある為、借り手側で保証業者を指定する事は不可能
な事が多いと思われます。
(かくいう私も、移住後4年目の現在も毎月の保証料を銀行引
き落としで支払っています。ちなみに私の場合は毎月600円:家賃によって変わると思います。)
沖縄のアパートの一般的な間取りについて
家の間取りについては、家族構成や資金力(?)によっても希望は人それぞれだと思いますが、私のような独り者にとって参考になる情報をひとつ。
私が沖縄で家探しをしていて持った印象ですが、
アパートに関しては、なぜか「2DK」という間取りは非常にタマ数が多く、かつ家賃も比較的良心的な場合が多いと思います。私も当初はワンルームのアパートを探していたのですが、新都心のような新興の開発地区以外の場所では、逆にワンルームのアパートはあまり見つらず、あっても築1〜2年と
いう新しい物件がほとんどで、新しいぶん当然家賃も高め。逆に、
少し年数が経っていれば、2DK(6畳・6畳・8畳のDK+水周りというパターンが多い)のアパートの方が、
タマ数が多いために所有者間での競合も激しく、家賃が安かったりするのです。私の住んでいるアパートも、築9年の2DK(お風呂・トイレ別・高台で景色バツグン!)で家賃は駐車場付きの4万5000円。新築とはいえ、新都心のワンルームに住んでいたゆうちゃんの家賃より全然安いです。新都心を希望していたり、新しい建物にこだわっているのでな
ければ、単身者には2DKをお勧めします。
その6へ続く。
6.いよいよ引越し
やっぱり海を隔てた沖縄。引越しには費用がかかってしまいます。まずは、それまで住んでいたアパートを引き払う手続き。1ヶ月前に管理会社に退去する旨を伝え、退去日を決めてから、引越しの準備に入りました。
最初のうちは「引越しのサカイ」とか「アート引越しセンター」とか「日通」など、大手の引越し業者に片っ端から電話して料金を調べていたのですが、その料金の高いこと!私の場合は、すでに7年近く福岡で一人暮らしをしていたので、冷蔵庫や洗濯機などの大物家電、テーブルやソファなどの家具類も全て揃っており、それらを運ぶとなると、一人暮らしの引越しによく使われる「単身パック」の利用はまず無理だったので、どうしても一般の引越しプランを利用する必要があったのですが、
どこの業者の料金も20万円に迫る勢い。まず10万円あれば何とかなるだろうと甘く考えていた私は、はっきり言って頭を抱えました。大物家電に関しては、いっそのこと処分してしまって、沖縄で買いなおそうかとも考えましたが、それでもまだ単身パックにするのは無理なくらいの量があったし、引越し会社に相談しても、料金はたいして変わらない。
ならばということで発想を転換し、「沖縄の引越し会社」(やはり島だけあって、けっこうたくさん地元の引越し業者があります。)をあたってみるも、本土から沖縄への引越しには対応していないと断られるか、対応していたとしても若干安くなるだけで、さほどの違いはありませんでした。
で、最終的に考え付いたのが、
そもそもの「引越し」という概念から脱却してしまい、個人輸送という形で運送業者を使うという手段。結果的にはコレが功を奏しました。
そして見つけたのが
「沖縄物流」という会社。
名前だけは沖縄の会社のようですが、本社は福岡にあり、船を使ったコンテナ輸送を行っている会社です。さっそく電話してみるとありがたいことに個人での利用も可能との事でした。また、
そもそも引越しが本業の会社ではないので、運送料金はコンテナの使用量に応じて算出されるとの事。若干うろ覚えなのですが、福岡から沖縄への発送の場合、コンテナには12フィートと20フィートの2種類があり(どっちを使ったのか覚えていません、ごめんなさい・・・いちばん大切なところですよね)、私の場合の料金はナント驚愕の6万6千円!
一瞬耳を疑い、そのあと詳細に条件を確認しましたが、もちろん即決しました。もう4年も前のことですが、奇跡的(?
)に領収書が残っていましたので、写真をアップします。
ここで、以上に書いたような「海運業者を利用する場合」の注意点を書き出しておきます。
注意点その1
引越し業者ではないので、
梱包サービスのようなものは無かったと記憶してます。当日になって梱包が出来ていない、なんて事のないように、事前に業者から念を押されました。また、家具に傷がついたりした場合の保証も、おそらくなかったと思います。
傷つけられたくなかったら、自分でしっかり梱包しとけという事ですね。まあ、しょうがない。
注意点その2
海上輸送にはコンテナを使うといっても、
業者が家までコンテナを持ってくる訳ではなく、いちおう普通のトラックで来てくれます。ただし、積み込みはセルフだったはず。私の場合は業者の方がとても親切な方で、手伝ってくれました。参考までに。
注意点その3
これも当然のことですが、積み込み、および積み下ろしの際は、どちらにも依頼者の立会いが必要。まあ、代理の人を行かせる事もできるとは思いますが、
基本的には船で運んでいる間に飛行機で先回りして待っていないといけないという事です。というか、通常の引越しでもそうですよね。
注意点としては、まあ以上のようなものでしょうか。
沖縄物流のサイトをチェックしてみました所、本土側の発着港は福岡、大阪、東京がある様なので、全ての場所で私の受けられたサービスがあるか、また、料金体系が現在も同じかどうかはわかりませんが、私と同じような条件の方は、ぜひとも参考にしていただきたいと思います。
また、私の場合は当時は会社のクルマが私用オーケーだったため、自家用車を持っていなかったので、
クルマの輸送は発生しませんでした。沖縄でクルマを調達するのは、その1年くらい後のこと。
クルマの輸送に関しては、
前管理人のゆうちゃん版に詳しく書いてあります。この、ゆうちゃんが紹介している会社は、他と比べてもホントに安いと思いますよ。
さて、福岡で積み込みを済ませ、アパート退去の立会いを終えた私は、その日は勤めていた会社の同僚たちに送別会をやってもらって、そのまま同期の友人の家に泊まり、翌日の便で沖縄へ。もう引き返せない(当たり前ですが)なんとも寂しいような、武者震いするような気持ちだったのを記憶しています。
その7へつづく